2022.12.8

岩船寺のおばあちゃん



親のスネばかりを齧り、いっちょうまえに修士学生をさせていただいていたころ、月に1~2回は電車やバスに乗って、建築旅行を楽しんでいた。

特に1年生から2年生にかけて進級するぐらいのときは、設計課題も研究(修士論文)も手に付かず、就職戦争に惨敗し、本当にこのまま建築を続けていいのかな?と想い悩んでいるときでもありました。

一方で新建築社の『日本の建築空間』という書籍に入りびたり、それまで敬遠してきた日本建築に、とんでもない可能性を感じ始めていたのです。







京都府木津川市、浄瑠璃寺。


並置された9体の阿弥陀如来像と、それらをおおらかに覆う本堂。

(本堂内は撮影禁止のため、ぜひ皆さんも足を運んで空間体験をしてください)


内陣と外陣の対峙。

経年変化による木材(柱・梁・化粧垂木)の黒色と、漆喰塗りの白色との対比。


頼りない明るさの中、阿弥陀如来像とその背面の漆喰壁とが、ぼんやり光り、美しい空間となって現れる。



池を挟んだ対面には三重塔が。



現在は拝観料を支払えば、本堂内へ立ち入れますが、三重塔側から、池を挟んで本堂へ向かって拝むのが、本来だとか。

(この話しはまた別の機会に。)









美しい空間に魅了され、ニヤニヤ顔でバスに乗り、帰路する途中、「岩船寺」というお寺の標識が見えてきた。

時間もあるし、ちょっとだけ、と立ち寄ってみる。

調べてみると紅葉や紫陽花で有名なお寺なのだとか。



本堂内へ入り、住職さんからお寺の歴史の案内と、ありがたいお言葉を伺った後に、お庭を散策し、帰りのバス停へ。


バスが来るまでは少し時間があるので、ちょっとだけ集落の方へ散策しようとすると、そっちは何も観光するものがないよと言ってくる、出店のおばあちゃんがいる。

見慣れない顔がウロウロしているので、怒られるのかな?と思いきや、今日は晴れて暖かい日だから、バスを待つ間、お茶でも飲んで行けというのである。




『おばあちゃん、おいくらですか?』


『若いもんからお金を取ることはせん。まあここに来て座りなさい。』




『私は91歳や。若いもんがみんな稼ぎに行ってるから、私はこうやって店番をしてるんや。』




しっかりした、すごいパワーのおばあちゃん。




『あんたは芸術家かなんかか?』



『いいえ、建築を学んでいる学生です』



『そうか、それっぽい風貌だな』






『私は若い者、特に孫や曾孫たちに、こう言っている。
 どんなことでも一番を目指せ。一番になるように努力しろと』



『あんたは建築で一番になりなさい。
 日本で一番…いや、もっと高みを目指し、世界で一番になりなさい。』







今もこの言葉を大切にして生きている。

一番になるというのは到底成しえないかもしれないけれど、今では、こう解釈している。




自分にしかできないこと。


それがきっとあるはずなのだ、と。




『日本の建築空間』。

この本にあこがれを抱いていたあの日から。

「日本建築を設計のお手本とすること」をテーマにやっていこうと心に決めたのだ。







数年後、三重県へ再び引っ越ししたのち、コロナが少々落ち着いてから岩船寺へ向かった。

出店にはシャッターが降りていて、駐車場で誘導していたおじさんに尋ねてみた。



『ここで出店をしていたおばあちゃんは、今日いないのですか?』


『あの、おばあちゃん…。実は3か月ぐらい前に亡くなったんです…』




遅かったか…






おばあちゃんのあの言葉が無かったら、その後の学生生活から逃げ出していたかもしれないし、設計の仕事をしていなかったかもしれないなと時々思う。



その日はかなり落ち込んだけど、心の中にはあの言葉が大切に仕舞ってある。





一番になること。

そして、自分にしかできないこと。




それに向かって、今日も仕事という修行を繰り返す。




スタッフ 阿部