2010.8.15

広島と戦争

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夏休み。青春18切符を購入して広島へひとり旅。

道中、井伏鱒二さんの黒い雨を読みながら電車に揺られ約9時間かかって到着。

原爆ドーム近くの爆心地から空を眺める。今は内科が建っていて普通の曇り空。

僕はどちらかと言うと右的発想から戦争を考え、首相が村山談話の再来が如く戦争責任を改めて謝るのならば、アメリカに対しても正式に謝らせろ等と思っている。戦争は謝りながらも戦争をする為の基地問題は強くNOといわない事に矛盾と憤りを感じる。そんな事から僕は教科書に乗っていない史実等を調べ、当時の欧米諸国の植民地侵略の脅威、圧力等で戦争は必ずしも日本が一方的に謝る事ではない、と考えてきた。(自国の侵略を正当化するつもりもないし、負ければ敗者の立場が発生してしまうのも真理とは思う)

―――― 今回旅して結局僕は、学生の頃に勉強しなかったコンプレックスからか『自分は知っている』と背伸びしたくて人にあまり知られていない戦争論をこれ見よがしに宣伝していたのかもしれない。と思った。

出発の前日、あまり好きじゃない爆笑の太田さんが戦争の番組で 『うすっぺらい教科書で戦争はわかるはずも無く、自分で勉強するしかない。しかし正解の教科書はない。ひとりひとりに歴史があり、同じだけ真実があるから』と言っていて、納得した。
また、元軍隊上官のおじいさんは『軍艦大和、ゼロ戦、そういうものは戦争を格好良く見せる宣伝的なもの。本当の戦争は本当に理不尽で、恐ろしいもの。』と言っていた。

特攻隊で死んでいった先人達へ対する敬意から、間違いだったと認めるとその方達に申し訳なくて、素直に戦争反対をココロに持てなかった。
今回旅して被爆した三輪車、広島の惨状を目の当たりにして、自分の愛する人たちを思い出した。根本的な『戦争は醜くて理不尽』と言うことを心から思えるようになった。

道中読んだ黒い雨で主人公が『戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい。いわゆる正義の戦争より、不正義の平和の方がいい。』と思うところでハッとした。いくら美化しても、これがこの当時の大方の人が思っていたことではなかっただろうか。
政治的な理不尽、迫る海外、色んな噂に対して安直に武器を持て、と考えていた自分が恥ずかしい。どんな理不尽があろうとも戦争は最悪の選択だと言う当たり前の事に気がついた。

そう考えている時、それでは過去の方の大勢の死はなんだったのか、歴史は考えずにただ戦争反対とだけ唱えればよいのか、振り返ることは必要じゃないのか、それでは死なれていった人たちに申し訳ないんじゃないかと悩んでいると、ヨハネパウロ2世の言葉が目に入る。

そこには『過去を振り返ることは将来に対する責任をになう事です』――――と記されていた。

時の権力、世界情勢、様々な要因でマスコミの報道、世論は変わる。
例えそうであっても 戦争はしてはいけない 今回改めて気付いた事を軸に持って考えていきたい。