2015.8.14
20150810建築巡礼後半
少し間が空きましたが、8月10日の建築巡礼のブログの続きです.
愛知芸術大学にとても大きな刺激を受けたのち、愛知淑徳大学にて開催されていた藤本壮介さんのレクチャーへ.
レクチャーの内容もすごく腑に落ちる事がたくさんありました.
北海道で育ち、学生から東京で生活している藤本さんは
自然形態と、人工形態の間に無限の可能性があると言います.
人工なのに洞窟や地形を目指した、多くの最近の先進建築をみていると有機体の果てに何を求めるのかが疑問であり、自然を目指すとすれば、それだったら自然の地形には敵わないし、可能性なんてないのじゃないかと常々思っていたので、
『その間に無限の可能性』
という言葉がスッと入ってきました.
設計とは、イメージやコンセプトを実現するための為の検討から、具体的に実際どういうものをどういう風に使ってそのものを構築していくかを決めるまでのすべての事柄であり、その結果は膨大なスタディの先でも読み取れない事も有り、運を味方につけるという側面もあるということ.
氏は、建築を通して自分がそのプロジェクトに巻き込まれてまだ知らない自分が見えてくるのが醍醐味だ、とも言っていて、その言葉にも、上記の言葉からも、空間も概念もある意味設計段階ではまだ見えていない、抽象性を含ませてつくっているのだということが伝わります.
氏がつくる、多くの白い実体として立ち顕れた建築も抽象的だけど、その先の効果、現象の想定にも抽象性があるようです.
このレクチャーの前に体験した吉村順三さんの芸術大学の講堂は、建築の自立性と共に、人がどう感じるか や、振る舞い、現象も突き詰めて想定した上で、建築が成り立っているように感じたことを思い出し、その部分で対比を感じました.
ある意味、空間で起こる響き合いが、完成後に任され投げ出された建築と
設計中に想定仕切った先に想定外の空間、現象、事柄が生まれる建築の違い.
個人のスタンスはあれど、僕は後者の方が建築として血が通っている気がします.
レクチャー会場の別館では、愛知淑徳大学の学生さんが展示した、今年TOTOギャラリー間で行われていた藤本壮介展の巡回展があって、とても充実した見ごたえのある内容でした.
『偶然出来上がった形から見える可能性を思考によって広げる。』
些細なこと、拾ってきた松ぼっくり、紙を丸めて偶然できたスキマ、ランダムな欠片の重なり・・・などを建築に発展し、検討を繰り返し、実際の建築に昇華させていっています.
これが世界各国でコンペに勝ち、実際に建っていくんだから、スゴイ。。。
個人の頭の中から始まった思考が、建築としてたち上がっていく不思議さとリアル.
それでも、一連の思考の断片を見て、考えている事、カタチ、アイデアの取っ掛かりはシンプルなんだと意外でした.
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レクチャーを聴いていると、建築に対して 『面白い』 というのがかなり重要なキーワードのようで、その部分に少し引っかかりつつも、個人個人様々な信念のもと設計をすればよいのだ、と啓示をいただいた気がします.
氏の作品は個人の感じ方に委ねた建築と書きましたが、この建築たちからは、そこに住む人、関わる人の心の大きな原風景、灯台になる事は間違いないだろうという大きな力を感じました.
少し前、友人建築家のOさんと、藤本さんが設計された公衆トイレは色んな意味でヤバイ、と話していましたが、実際にレクチャーのなかで、設計者自らネットでたたかれ切った、と自虐的に、でも建築に対して大きな夢と、作品に対する自信を感じる解説をしてくれて、大きな勇気もいただきました.
見れば見るほどスゴイし、ヤバい・・・(笑)
千葉県にたつ公衆トイレ(女子用)はガラス張りで鍵はなく、周りを大きく囲った木の板壁のいりぐちで鍵をかけてから真ん中のトイレブース(鍵無し・ガラス張り)までアプローチして用をたすという作品.周りの壁は基礎を持たず、木杭を地面に突き刺してつくっています.
世界一大きなトイレとしてギネス申請するも却下されたとか・・・。
(過疎化対策の起爆剤として市が資金を出した公共建築です.)
スゴイ・・・。