2016.4.24

20160423

20160423
三重、愛知の設計事務所が手掛けられた3軒の住宅のオープンハウスにお邪魔させていただく.
たまたま同じ日の開催だったので、終始濃密な一日でした.
宇野友明建築事務所さん、DIGArchitectsさん、Studio velocityさん・・・.
午前から宇野友明さんの桑名の住宅を拝見する.
いつも宇野さんの建築を拝見すると、
建築をつくること.出来上がったモノ.思想.
氏のBLOGなどの言葉と、実空間が自分の中で同期して、建築と生き方、思想が全てつながっているその真実をまざまざと目の当たりにし、自分の心にズガンと衝撃をもらう.
それは座禅修行の時に、お坊さんに警策で喝と叩かれる程度のものではない.
僕がこのブログを始めたのは、建築家になりたいと日々建築の夢ばかり見ている現場監督だった当時、自分が設計した実作も、独立の予定もなにも掴むものがなく、夢の先に行くためにはどこに向かったらいいのか、まったくわからない霧中のなか、目標に向けて何か一歩でも行動しようと思ったのがきっかけでした.
2年半前に独立してからは、このBLOGにおいて営業的に差支えそうなことや、ちょっと過激な漫画の紹介、書き始めた当時のごく個人的な心理、思考の描写などを無意識のうちに避けるようになってきた気がします.
でも、今日は、建築に夢見る20代の頃の当時のように(今も夢見ていますが)ごく個人的なBLOGを書きたいと思います.
イメージ 1

宇野さんの建築を体感すると、自分のこれからの生き方、まで勉強させられる.
建築に嘘がなくて、つくり手にも嘘がない、とその場に立った時に考えるより先に体が思う.
心に残った言葉、
『今の時代、情報を出しすぎると、その情報が信じられて、その情報が発信者である自分よりも信じられてしまう.』
『建築は、施主、設計者、職人、みんながつくる.人の嫌がることはしない.モノにはその気が宿るから.』
『建築を自分の表現につかっちゃダメだ.』
途中、服部信康さんがこられて、
『デザインどうこうじゃなくて、自分を信じてくれたお施主さんにどれだけ返せるか、だと思っている.』
と宇野さんとの自身の思想のやり取りが始まる.
自分の看板を背負っている僕が、こんなこと書くと、プライドないのか、と言われそうだが、
こんなにすごい建築をつくる人たちが、
宇野さんが住宅につけるフックや、取っ手などを自ら加工し、手を真っ黒にして話している佇まい、
服部さんの、いつもスゴイ住まいをつくるのに、それに対して力みも自慢もない言葉、立ち居振舞い、
カッコイイと思った.
でも今の気持ちを正直に言うと、
その思想、生き方は、このように実作として優れたものを生み出せる力があるからこそ説得力があるのだとも思った.
建築を自身の表現につかう、自分しか喜ばない『エゴイズム』は言語道断だが、
星の数ほどいる建築家から自分を選んでくれたクライアントに対して、自分を通して、自分とそのクライアントだからこそできる建物をつくりたい.
僕はまったく自分を消すことはできないし、むしろもしあるとしたら、その自分を積極的に開拓していく段階だと思っている.
それが自分なりのクライアントへの返し方だと思った.
午後からもDIGさんの斜面にたつ、屋内において屋外の傾斜と応答しつつ、何層ものレベルへ再構築し、視線の抜けと居場所を内包する立体的な断面の住まい、
verocityさんのHP面の屋根で覆われた屋根の平屋分棟の連続.それが生み出す居場所、居心地をもつ、内外裏表のない周辺環境と溶け合う住まい.
を拝見する.
一日食事もとらず、様々な建築の手法、応答、思考の結果を体験し、帰宅前、車にのるときには疲れて体が重くなっていたけれど、とても勉強になった一日だった.
設計者 x 依頼者の数だけ立ち顕れる建物があるし、同じものはない.
自分が建築というフィールドの中でどう歩いていくかだ.
もしかしたら建築というフィールドという括りではなく、自分という人生をどう歩んでいくか、かもしれない.
ここまでの文章で、『僕』、『自分』という言葉がこれほどまでにでる自分は、欲の深い人間なのだとも思う.
僕は漫画が好きで、この建築界のフィールドが時々ワンピースの大海原に見えるときがある.
くだらないたとえかもしれないが
海賊王、四皇、七武海、他、猛者がごろごろしている海のなか、それぞれが自分のワンピースを目指して航海している.
ワンピース(大いなる秘宝)は人によって様々なのかもしれないが、
僕は僕のそれを目指す.
おそらく人の人生は気付けば短いものだと思う.
今日改めて思った事は、できる事なら自分にとって嘘をつかない歩き方をする事が大切だ、
ということだった.
今日は建築少年の設定なのではっきり言う.
建築に夢を見ているのだ.