2013.6.9
その先は。
自分にとってすごく衝撃的な出会いがありました。
大工さんであり、設計者でもあるこの方は、既存の建築のあたりまえからみなおし、(覆し)
なんと自家発電住宅に成功しているのです。(太陽光パネルを自分達で施工し、電力会社の電線を引っ張らない家)
現在建築中の家もこの建て方だそうです。
その方に理想の建築を訪ねると
『これは行きすぎだけど、ブルーシートハウス。』
・・・。
じゃぁ、僕達、建築業の仕事がなくなっちゃうじゃないですか、と少し的を外れた質問をすると、
『そしたらみんながその時間、農家をすることができて、その方がみんなが幸福になる。』
!!!!
理想論ではなく、自分で建てる技を持ち、実際に自分の信じた建築を体現している方の言葉だっただけに、衝撃的でした。
自分も、土着的な建築が好きです。必要な機能だけ担保し、その土地土地に最も適したカタチの簡素な建築たち。
いま、この時代 に 立っている自分。
僕は今、自宅を建設しています。
そして僕は日々、建設業に携りながら
建築を装飾し、見栄えをよくすること と 建築の本質は違うんじゃないかと、心のどこかで引っ掛かっていました。(今思えば)
建築の本質は、飾りではなく、シンプルな用途だと思う。
雨風しのいで、極力快適に住む。(勿論今の時代、工学的な安全も担保しつつ)
そう思う 反面、
自分の志した建築意匠の表現もしたい。
今まで気付かないフリをしていた、この相反する モヤモヤをワシヅカミ、いや、ハンマーでドカンと殴りつけられた衝撃でした。
木が好き、森が好きと言って 大きな銘木のテーブルを買い
自然が好きと言って 自然の大地にコンクリートの楔を打ち込む。
今の自分の思考は向かうべき、到着するべきところにつく為の 考えの混濁
だと思っています。
今までもそうだった。
政治的な話、祖父が太平洋戦争に行っていたこともあり、右的思想に傾倒しがちだった自分が、色んな方のお話を聞き、着いた答えが(今のところ)右も左もない。様々な情報から判断し、ある時では右、またある時では左という (右か左という表現の基準もナンセンスですが)答えを出す事を学びました。
決して逃げではなく、物事、無理に両極な答えを出さなくてもいいと思う。熟孝ナシの白か黒。それは妄信と同義のかたくなさだと思う。
基本的な自分のスタンスはあれど、たくさんのこと、考え方にふれ、自分なりに咀嚼し、でてきたその時その時の答えが正解なんだと思う。(あくまでも自分の)
僕は、自分の考えた建築を創るのが夢だった。
大げさではなく、自分にとって、自分の建築を創る事は、 世界を創る事。
そこにしかない場所を創ること。
川に行けば、そこにしかないせせらぎが聴こえること と 同義の場所を創ること。
ある意味、現実を直視できていない理想郷だとしても、そこにそれがあれば、それは本物だと思うから。
決して奇を衒った建築を目指すのではなく、求められた場所を 構築する力。この力を身につけるために、もっともっともっと勉強します。
実際 建築には夢がある。自分の好きな場所で、自分の時間を過ごす。
この時間、建築は人を幸福にする 絶対的な 力がある。
この答えの終着点がどこなのか。
この文章を書いたのも、自分の中の振れ幅に恐ろしくなって、自分の考えを整理したかったんだと思います。
今回気付いた 大きな事は モヤモヤ を感じたときは 見ないフリをすることはもうやめよう。という事。
自分と向き合い、人と触れ、化学反応を起こしたいと思います。