2015.1.19
川合健二・花子さんの家
2015年1月18日
愛知県豊橋市 川合邸 1965-1968年 設計 川合健二
お伺いする機会をいただきました.
川合健二
1913年 愛知県豊橋市で生まれる
1940年代 菊正宗を退社後、独学で冷凍機の勉強をする.
1949年 花子さんと結婚
1950年代 丹下健三に指名され、香川県庁、東京都庁などの数々の名建築の空調設計を担当.
1965-68年 コルゲートパイプによる自宅建設
その後、様々なエネルギーの研究をし、数々のシステムを生み出していく.
1996年 豊橋市にて逝去 83歳
建築家ではなく、エネルギーの専門家だった川合氏の自邸.
本来ならば土木工事に使うコルゲートパイプというトンネルのような筒を建築躯体にしています.
当時、自宅を建築するにあたって、借金をして家を建てることに疑問を持った氏が、コストを抑えるために考案した形です.
1800坪の土地は当時坪480円で購入し、大地と共に自給自足を目指すという思想で、実際に敷地内にはみかんや野菜がなっています.
正直、僕も自宅を建てる際に「住宅ローンという今の世の中の当たり前」に頼って良いのか、解決法はないのかと自問し、悩みましたが、ローンのお世話になりました.でも、川合氏はアイデアと強い意志で乗り越えています・・・.
「家は立っとるから危ないんで、はじめから寝とれば危なくない」
と言い、建物は地面と固定せず、両脇に土を盛って支え、地震時の揺れを吸収します.
実際、完成後のこの50年間、震度5以上の地震や大きな台風にも見舞われましたがビクともしていません.
これほどまでに、世の中の当たり前から考え直し、なおかつそれが奇を衒う為ではなく、実用性、論理的に基づき実践されているモノゴトを僕は今まで見たことがありません.
そして、筒状の住空間について、
「人間は昔は土の中に穴を掘って住んどったのだから、むしろ四角いあるいは垂直の家に住む歴史の方が浅い。こう言って住んでみて、やはりこの方が落ち着いて、抵抗がないと思います。」
ともおっしゃっています.
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川合氏の思想に感銘を受け、自宅をコルゲートパイプでつくられた方もたくさんみえます.
日本を代表する建築家の一人、石山修武氏も川合氏を師と仰ぎ、氏の影響から初期の代表作幻庵を設計しました.
↓幻庵 URL
エネルギーの専門家である川合氏は日本に原子力発電所がたくさん建設され始めた当初、
「こんな狭い国に、原発をたくさんつくって怖くてしかたがない」
といい、本格的にオーストラリア移住計画をし、1カ月ほど視察に行かれたようですが、やはり日本が良いと帰ってきた経緯もあります.
50年前から、化石燃料、原発に頼らないエネルギーの重要性を発信されていました.
憂いが現実となった今を、川合さんが見たらなんというでしょうか.
ずっと前から刺激を頂いていたこの家.意識せずともいつの間にか、川合邸を特集した雑誌が僕の事務所にはたくさんあります.
思想と空間に触れて、住宅はやはり 住む人それぞれの思想や考えと寄り添う棲家 であることが大切だと感じました.
僕がこの家にお邪魔したかった理由はもう一つあります.
今から20年前に健二さんがお亡くなりになった後も、ここに一人で住まわれている花子さんにお会いしたかったのです.
この家と思想を受け継ぎ、ここに住まう花子さん.
みかん畑をしたり、敷地に寄り添いながらここでの生活を送ってきた花子さんは、
「人間はなるべく自然に近い環境で生きる方がいい。」
とおっしゃいました.
僕個人の今の思想ですが、建築の究極は、人に愛されることだと思っています.
まさにその究極的に幸せな建築の姿を拝見する事が出来、一生忘れられない時間をいただきました.
そして、健二さんがお亡くなりになって20年経った今も、当時の姿や人となり、しぐさ、出来事を、時折写真に目を向けながら、ニコニコと、慈しむようにお話しして下さった花子さんの夫婦愛.
空間経験にあわせて、大切なことも深く教わりました.
また、花子さんはこの家のメンテナンス計画もたててらっしゃって、箱舟のようなこのおうちを未来に届ける意志を感じました.
今年96歳となる花子さんとの会話の中での
「いろいろあるけど、にんげんはおもしろい」
という言葉に、ものすごく勇気をいただきました.
花子さん、素敵な時間をありがとうございました.
本当にまたお邪魔させて下さい.
帰り際、夕暮れ時の空の下、やっぱりこのおうちも生きているように感じました.
川合健二の言葉
自分の頭で考えよう。
自分の足で歩こう。
自分で自分を育ててゆこう。
それこそが、人生の喜びであり、究極の目標である。
100年たったら、地球がきれいになったなぁ、と言えるよう、今私たちが出来る限りの努力をしたい。
(1995年 川合健二)