2018.2.22

一行は一幸に如かず

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朝3時に早起きして、 禅  鈴木大拙 著 を読みました.
特に今月。仕事や考えることがいっぱいになっていたりすると、イライラしてしまう自分に気がついて、そんな小さい自分を見つめ直したくて。
この精神状態は自分にも、もちろん周りのひとにも、つくるものに対しても良くないと。
むかし、何かで見て記憶していたこと。
このことわざの先には、続きがある、というのは確か禅からきていたのでは、、、(それか孔子だったかな?)と思い出して禅の大家の本に手を伸ばす。
百聞は一見に如かず
一見は一考に如かず
一考は一行に如かず
一行は一幸に如かず
建物、住まい、すなわちその場所の未来に携わらせていただく自分の仕事。
まず自分を整えないと、(自分も一幸のありがたみを感じれる状態でないと)、良い気の入ったものはできないのでは、とはたと思い、まずこの本を。
読書候補の本の消化と入荷のバランスがまだとれていません。。。
安藤忠雄さんの  野獣の肖像 は、安藤さんが30代の頃、一日4時間睡眠で本を読み続けた、というエピソードと、バイタリティにあやかって、既読本だけど、常に未読本に混ぜてあります。

本好きな自分が常に思っていたこと、が
禅 の 冒頭に。
『しかし禅は知得するだけでなく、体得がなくてはならぬものゆえ、その知得底だけで満足すべきことではないことは、今さら言うまでもないと信ずる。』
参考書を読んで知識だけつけてもそれが自分の実力になるわけではなく、体を動かしてこそ、それが栄養になる。
バドミントン上達、の参考書ばかり読んでも、うまくならないですもんね。
禅は、深い・・・。
沈黙は雄弁とも。
『禅は自分の中から出てきた問いに対する答えは、自分自身の中に見つけ出せ。
なぜならば、答えは問いのあるところにこそあるからである。』
一行は一幸に如かず。
の続きを、キーボードの変換をしていて思い付く。
自分の一幸の先に一公に。
建築設計事務所を営み始めてから、自分自身の思想や主張は独立前の頃にくらべると、このblogで自重してきましたが、今日は久しぶりに綴りました。
特に日本では、政治の話し、宗教の話し、性の話しの3つは明るいところではしてはいけないと言う風潮がありますが、人それぞれの思想、主張は尊いものだし、特に十人十色の考えや人々と交わる、住宅設計にかかわる自分としては、なるべくならば全ての事をフラットに見れる自分であるべきだ、と思っています。
同調圧力と協調性は、混同してはいけないと常日頃思っています。
そして気づかいと愛を大切に。
(と自分に言い聞かせます。)
そして僕は建築を通して、自分の人生観を成長させていきたい。